セイルトレーニングとは

■ 関連記事 帆船〈あこがれ〉の「セールトレーニング」が始まったそのときへBACK!
その1(PDF) その2(PDF) その3(PDF)(月刊「舵」2013年6・7・8月号)

セイルトレーニングとは

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帆船による外洋航海を通じて、決断力、真の勇気、チームワーク、チャレンジ精神、そして自分に対する自信を体験から身につけるのがセイルトレーニングです。また、ふだんの生活ではわからない、自分自身の潜在能力と可能性を発見できるのもセイルトレーニングプログラムの大きな力です。

しかしセイルトレーニングの本質は、セーリング、つまり帆走の技術を学ぶのでもなければ、人為的に過酷なプログラムを組み立てたトレーニングでもありません。そのままあえて日本語に訳せば“帆走訓練“となりますが、これではセイルトレーニングに誤解を招いてしまうので、日本でも発足当初からカタカナでそのまま“セイルトレーニング”と呼んでいます。 沖合の海に出たことも、ましてや船に乗ることすら初めての人たちでも、誰もが経験を問わず参加し、全員が自分たちの手でロープを引き、自然と向き合い、風の力をとらえることによって大海原を航海するのです。

帆船は誰にとっても初めての体験です。現代の生活では船に乗る機会はほとんどないでしょう。あったとしても大型のフェリーか釣り船くらいでしょうか。キャンプなどの野外活動の経験がある人でも帆船の経験などまずありません。帆船の上は日常とはまったく別の世界ですから、年齢も性別も、それまでの経験も全く関係なく、参加した誰もが“初心者”なのです。ここがセイルトレーニングと他のプログラムの大きな違いです。

理想的なセイルトレーニングプログラム

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乗船するために港に停泊している帆船にやってくると、その美しい姿に魅了されると同時に、空に向かってそそり立つマストを見上げて「まさか、ほんとうにあそこに登るの?」と唖然としてしまいます。 セイルトレーニングに“お客さん”はありません。乗船するとすぐに参加者自身が船上での作業を担当します。コンパスを見ながらの舵の取り方、30メートルもあるマストの登り方、何十本もあるロープの役割と取り扱いの方法、ヤード(帆桁)の動かし方など、帆船を操る基本を教えてもらったらすぐに港を出て、沖に向かって航海を開始します。

初めての経験に戸惑い、マストの上では足がすくみ、ロープもまったくわけが分からないまま港の岸壁を離れると、なんだか不安になってきます。港から出て外海へと進むにつれて船もだんだん揺れ始めます。陸地が遠くに見え始めるころには、慣れない船の揺れに誰もが船酔いを感じ始めることでしょう。こんな状況の中で、揺れるデッキ(甲板)の上で、いっしょに乗り合わせた初めて出会う仲間と力を合わせてロープを引き、帆を一枚ずつ広げ、風向きに合わせて帆の向きを変え、船の進路を保つための舵を取り、参加した全員で帆船を目的地に向かって走らせてゆくのです。

沖に出てしまえば、「いやだ!」と言って一人だけ船を降りるわけにはいきません。また自分だけ作業から離れると、いっしょに乗っている仲間の負担になってしまうことがすぐにわかります。しかも出航した直後から4時間交代の航海当直に入り、24時間休むことはありません。

デッキの上での操船作業だけではなく、毎朝の船内とデッキの掃除はもちろん、食事の支度も参加したトレイニー(訓練生)が交代で担当します。一人で全員の食事を賄うコックさんの手伝いは大切な役割です。食材の準備から下ごしらえ、配膳、片付けから皿洗いまで、揺れる船のギャレーでの作業は重労働です。でも自分がやらなければ誰かがやらなければならない仕事ですし、何より、やらなければ食事にありつけないのですから!

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これまで全く初めての環境の中で、初めての体験に向き合い、その時の自分にできることを精いっぱいこなすこと、これがセイルトレーニング第一歩です。

天気が悪くなって海が時化てくると「なんで自分はこんなところに来たんだろう」と泣きたくなってしまうかもしれません。しかし、場所は360度水平線に囲まれた大海原。海の上では心が解放され、精神が発散する方向に向かいます。きっと船酔いで頭も少しぼうっとして細かい事にこだわってはいられなくなっているはずです。このころから、普段の陸上での生活で気付かないうちに身にまとっていた“心の鎧”が少しずつ外れてくるのです。

航海も3日目を過ぎるころから体が船の揺れに慣れ、船酔いも乗り切っています。食欲も旺盛になって、一緒に乗った仲間たちともすっかり打ち解けます。初めは複雑に見えた帆船のロープもだんだん仕組みが分かってくれば単純なものです。船長やオフィサーから出される指示の意味も理解できて、ロープを引くのも楽しくなってきます。

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風の力で船を帆走させる爽快感に心が踊り、仲間との心のバリアーも無くなってくるのもこの頃からです。初めて登った時には足が震えたマストの上でも、周りの景色を眺める余裕もでてきます。遥かな高さから見渡す海の壮大さには思わず息をのむことでしょう。 夕刻になって帆走を終えるとき、一本のロープだけを足場にヤードに並んで、隣にいる仲間と息を合わせて帆をたたむ作業では、意識しなくても心からの連帯感が生まれます。

そしてマストの上から水平線に沈んでゆく夕陽を眺めるときには、その美しさに心が洗われ、仲間たちと自然に笑顔がこぼれてきます。 操船に慣れ、帆船の航海を楽しむ余裕ができてくると、次は参加した自分たちが交代にグループのリーダーとなって操帆の指示を出してゆきます。1枚の帆を操作するためには何本ものロープが付いています。誰がどのロープに付いて、どういうように引き、緩めるのかを自分たちが決めて、リーダーとなって帆船を操るのです。

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初めはわけも分からずに戸惑いながらロープを引いていたのが、いまでは自分たちの力で船を帆走らせることができるようになっています。もう時化がやってきても平気です。体が慣れていて少々の波やうねりでも何ともありません。

航海も終盤にさしかかる頃、船を沖合に停泊させた状態で救命ボートを下ろして、自分たちの乗っている帆船を外から見る機会をつくります。乗船した初日の自分を思い出しながら、外側から見る美しい帆船の姿を見て、これまでの航海を乗り切った自分に対する自信が湧き出てくるはずです。

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航海最終日の前にはクルー全員が参加するレクリーションプログラムをおこないます。船内の広いキャビンでパーティ形式によって行うこともありますし、海岸に上陸してバーベキューをすることもあります。航海を共にした仲間と、初めて乗った日のことを振り返りながら語り合うと、下船することが少し寂しく感じるかもしれません。

航海最終日、参加者全員がマストに登って“登檣礼”で目的の港に入港します。乗船するとき初めて見た高いマストに、いまは自分が立ち、港を見下ろすようにしてゆっくりと進んで行くとき、大きな達成感と誇らしさ、航海を通じてこれだけのことができたんだ、という自分自身に対する驚きに包まれていることでしょう。また隣に立っている仲間たちも同じような興奮に包まれています。思わず見合わせる笑顔は「自分ってすごいんだ。これまで自分が思っていたよりも、もっともっといろんなことができるんだ」と言っています。


セイルトレーニングの本質

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荷物をまとめて船を降りる時がやってきました。船長やクルーと握手を交わしてタラップを降りて港に立ったとき、自分の乗った帆船を振り返り、マストを再び見上げ、きっと「また乗りに来たい」と思うはずです。そして、日常の生活に戻る道を歩きながら、今までと違う、どこか成長した自分を心の中で感じていることでしょう。

帆船の動かし方、船の上で必要だった知識は下船したらすぐに忘れてしまってかまいません。日常の生活では直接は必要のないことです。しかし、セイルトレーニングを通じて心と体に身につけたものは決して忘れることはありません。

日々の暮らしの中で困難に出会ったとき、「とてもできない」と尻込みしてしまうのではなく、あの航海での体験が「できるかどうかわからないけど、とにかくやってみよう!」「あれだけの航海も乗り越えられたのだから、これだってできないはずはない!」と前に進む勇気を与えてくれるはずです。そして困難を乗り越えるためには、人と力を合わせなければならないこと、自分一人だけではけっしてできないことがわかっているはずです。

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これこそがセイルトレーニングの本質であり、このプログラムが帆船でなければできない理由です。

セイルトレーニングでは、船上で「リーダーシップ」について個別に指導することも、「チームワークの方法」を講義することもありません。それらは帆船で外洋を航海するために必要となる作業の総てにそのまま含まれているからです。しかしそのプログラムを達成するには、小型帆船では少なくとも5日間は必要であり、10日が理想的です。

帆船には「片手は自分のために、もう一方の手は船のために」という言葉があります。4000年と言われる帆船の歴史の中で培われたクルーとしての作業を全員が担って、目的地まで安全に航海する、それがセイルトレーニングのすべてなのです。

セイルトレーニングと野外活動教育

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英国においてセイルトレーニング協会が設立されたとき、名誉総裁に就任したエジンバラ公フィリップ殿下はその設立趣旨を次のように述べています。

「人は青年期になり、肉体的には大人になると、他人から教えられることを拒み、大人のすることなら何でもできると思い上がるようになる。この時期の青年に必要なことは、他人と力を合わせなければ乗り越えられないような試練を体験させることである。セイルトレーニングの目的は航海技術の習得にあるのではない。帆船の外洋航海を通じで必要とされるチームワークや決断力、他人を思いやる心を体験から学ぶことにある。」

青少年教育における野外教育に対する理解が深い英国ならではの考え方でしょう。英国を始めとするヨーロッパ、オセアニア、北米などの西洋諸国では、文明が進み、日々の生活が便利になればなるほど野外での体験訓練を積極的に教育に取り入れてきました。 英国に本部を置き、全世界に支部のある野外教育機関「アウトワード・バウンド・スクール」も、その前身は1941年に設立された「アバードベイ・シースクール」でした。その訓練プログラムの基礎となっていたのも船乗りたちの帆船による基礎訓練、すなわちセイルトレーニングだったのです。

第2次大戦当時、ドイツ軍のユーボートに商船が次々に沈没させられて救命ボートで漂流したとき、体力のある若者ではなく、経験を積んだ古参の船乗りたちの生存率の方が高かったのです。彼らはかつて見習い船員のころ横帆船で航海しており、蒸気船からディーゼル船へと乗り継いできましたが、当時の若い船員は始めから汽船に乗っていました。

この実情を嘆いた英国の海運会社の社長ローレンス・ホルトは、若い船員たちが横帆船による航海を経験してないからだと考え、ドイツ生まれの著名な教育者クルト・ハーンに相談を持ちかけました。この結果生まれたのがアウトワード・バウンド・スクールです。

ですから“アウトドア”ではなく、“アウトワード・バウンド Outward Bound”、つまり“外洋へ”という意味であり、帆船の航海において、港を出て外洋へ、外の世界へと出て行くということがその名前の由来なのです。野外活動教育プログラムの原点、それがセイルトレーニングだと言っても過言ではありません。

現在日本には、船員養成のための大型帆船<日本丸>と<海王丸>がありますが、これも広い意味でのセイルトレーニングです。最新のエンジンやGPSなどの電子航海計器など高度に技術が進歩した現代において、なぜ今なお船員の教育に帆船が必要とされるのか疑問に思われるかもしれません。

どんなに技術が発達し、船が大型化しても、広大な海における自然の力が変わることはありません。それどころか最近では異常気象のために自然の脅威はさらに厳しくなっているでしょう。外洋における圧倒的な波、そして風の力に逆らうことなく乗員どうしが力を合わせて乗り越えることが、どんな時代になっても変わらない航海の基本なのです。それを体で会得するには帆船による外洋航海が最も適していることが世界で認められています。しかし大型帆船でのセイルトレーニングが効果を発揮するには、航海期間が3ヶ月は必要です。ですから、世界の大型帆船は職業船員か海軍の士官候補生の練習船に限られているのです。

セイルトレーニングのはじまりと帆船レース

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セイルトレーニングが世界で幅広く認知され始めたのは、ヨーロッパで開催された帆船によるレースがきっかけです。

英国人弁護士バーナード・モーガンの提唱によって、1954年「セイルトレーニング国際レース委員会」が設置され、1956年に第1回レースが開催されました。それは、帆船の黄金時代に思いを馳せて、第2次大戦の戦火を免れて現存していた帆船を一堂に集めてレースを行い、最後の晴れ舞台を与えようというものでした。

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しかし、その結果は逆に大変な反響を呼び、その後も定期的に開催しようという運動へと盛り上がって行きました。そこで、そのレースを主宰した委員会が発展して、同年6月、エジンバラ公を名誉総裁として「セイルトレーニング協会/STA(The Sail Training Association)」が英国に設立されたのでした。

STA自身もレース活動を続けるうちに自らの帆船を建造することになり、1964年、セイルトレーニングのための3本マストスクーナー型帆船、その名も<サー・ウィンストン・チャーチル>が誕生したのです。

1968年には同型の姉妹船<マルコム・ミラー>が誕生し、2隻の帆船によって年間を通じてセイルトレーニングが行われるようになりました。 こうして英国セイルトレーニング協会は、発足当初から国際レースを主催・運営するSTA Racesと2隻の帆船を運航するSTA Schoonersの2つの部門によって運営されるようになりました。


セイルトレーニングの世界的発展と帆船パレード

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70年代に入ると数多くの帆船がセイルトレーニングのために運航されるようになり、大戦前に建造された帆船も修復されて復活し、あるいは新しい帆船も次々に建造されるようになりました。

セイルトレーニング発足のきっかけとなった帆船レースも世界各国の港湾都市での集客イベントとして隔年で開催されるようになります。その間の年にもマイナーレースとして小規模で開催されていました。

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1970年、オランダのアムステルダムで市制700年を記念した一大イベント「セイルアムステルダム(Sail Amsterdam)」が開催されると、帆船レースを終えた後に港で開催される帆船パレードは臨海地区に圧倒的な集客をもたらすイベントとして注目を集めました。オランダではその後も5年ごとに定期的に帆船パレードが開催され、世界最大のマリンイベントとして数十万人規模の観客を魅了しています。

1976年、アメリカ建国200年を記念して大西洋横断帆船レースが開催され、英国STAの<サー・ウィンストン・チャーチル>が女性だけの訓練生で参加して話題を集めました。このレースのクライマックスとしてニューヨークのハドソン河で壮大な帆船パレードが開催されると、帆船パレードは国際的な海洋イベントとして不動の地位を築いたのでした。

1988年オーストラリア建国200年、1992年コロンブス500年、1995年インドネシア独立50年など、いずれも国家行事の一環として招聘されるようになり、2000年ミレニアムセイルでは、ニューヨークでの独立記念日、セイルボストン、セイルハリファックス、セイルアムステルダムなど複数の港湾都市でのイベントと連携して開催されました。

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1983年の「’83大阪国際帆船まつり」もこうした世界の流れの中で開催されたもので、1975年のセイルアムステルダムを大阪市港湾局の職員が視察したことがきっかけです。その後、帆船<あこがれ>の建造計画、97年の香港~沖縄~鹿児島~大阪の国際帆船レース「Sail Osaka ‘97」へとつながってゆきます。2000年のミレニアムセイルには<あこがれ>がはるばる日本から駆けつけ、大西洋横断レース、セイルアムステルダムに参加しています。大阪市は海洋国家日本の代表として世界の動きとともにセイルトレーニングに参加していたのです。

英国のセイルトレーニング組織

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世界のセイルトレーニングの中心となって活動してきた英国のSTAでは、1990年代に入ってから、船齢が30年以上となった2隻の帆船が老朽化してきたことから、代替船の建造が求められるようになっていました。

2000年3月<マルコム・ミラー>が最後の航海を終えた後売却され、4月には、より大型の全長60mのブリッグ型<スタブロスSニヤルコス>が竣工して命名式が行われました。同年末には<サー・ウィンストン・チャーチル>も最後の航海を終えました。

翌2001年4月には、30年以上にわたって英国STAのセイルトレーニングを担ってきた2隻のスクーナーへの盛大なフェアウェルパーティが開催されるとともに、2隻めの新しい帆船、その名も<プリンス・ウィリアム>が完成し、ロンドンのテムズ川を遡ってタワーブリッジを通過するお披露目のセレモニーが執り行われました。

2003年8月、英国STAは会員の投票により新しい組織名がTall Ships Youth Trustとなりました。運営の資金集めのために、これまでセイルトレーニングを支えてきた会員以外の、一般の人々にアピールしやすくするのが目的です。しかしこれは、1956年に開催された第1回レースのための資金管理団体の名前への回帰でもありました。

1954年に「セイルトレーニング国際レース委員会」が設置されたとき、運営資金の信託組織として発足したのがTall Ships Youth Trustだったのです。

この新しい団体組織の下で、帆船レースの主催・運営はSTI(Sail Training International)、セイルトレーニング帆船の運航はTall Ships Adventuresと名前を変えて再出発することになりました。

STIは世界のセイルトレーニング団体の連絡機関として国際会議を主宰するほか、引き続きヨーロッパと北米を中心に帆船レースや帆船パレードを定期的に開催しています。2013年は地中海とオーストラリアの2カ所で行われており、2014年には英国南部沿岸で、15年には北海とバルチック海で、そして2016年、第1回レースから60年を記念したジュビリーレースが当時のコースに沿って開催されようとしています。

一方、セイルトレーニング帆船を運航するTall Ships Adventuresでは、2008年<プリンスウィリアム>を売却し、4隻の22m級世界一周ヨットを購入して「チャレンジフリート」として、外洋ヨットによる新しいセイルトレーニングプログラムを開始しました。

続く2009年には62フィートのカタマラン(双胴)ヨットが寄贈され、Tall Ships Catと命名されました。こうしたヨットによる活動への移行により、参加者の年齢制限も12歳に引き下げられ、また上限も80歳までとし、より幅広い年齢層を対象にするようになりました。

現在、Tall Ships Adventuresでは、フリートと称して帆船「スタブロスSニヤルコス」、「チャレンジャーフリート」「トールシップスキャット」の3種類のプロラムで運営されています。

そうした中で、身障者も共にセイルトレーニングに参加できるJubilee Sailing Trustでは、全長55mのバーク型<ロードネルソン>と<テネイシャス>があります。

視覚障害者のために、音で針路からのずれを知らせるオーディオコンパスを備え、車椅子で船内のどこにでも、船首にあるバウスプリットにまでも行けるように設計されています。

船名の<ロードネルソン>とは、トラファルガーの海戦の英雄ネルソン提督が片腕だったことから命名されたものです。また姉妹船の<テネイシャス>は、身障者を含めて一般の人々が建造段階から作業に参加して、皆のための帆船であることを実感できるようにと船体が木で造られています。障害者の福祉活動であることとこうしたマーケティングの巧みさによって募金活動も順調なようです

また英国では、こうした数多くのセイルトレーニングや海を舞台にした訓練団体の連絡機関として、ASTO(Association of Sea Training Organization)が組織されています。海洋教育に対する底の深さ、幅の広さを伺わせてくれます。

ヨーロッパのセイルトレーニング

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イギリス以外のヨーロッパでは、ポルトガル、フランス、オランダ、ドイツ、ポーランドのほか、デンマーク、ノルウェーなどの北欧諸国でもセイルトレーニングが盛んです。オランダのバーミューダスクーナー型<アベルタスマン>は、1988年のオーストラリア建国200年祭記念レースに一般募集のトレイニーを乗せてはるばる参加しています。

またドイツの<アレクサンダー・フォン・フンボルト>は、甲板長以外はすべてボランティアの乗員によって運航されており、有名なドイツビールBECKがスポンサーとなり、ボトルカラーと同じグリーンの船体と帆を持っていますが、スポンサーロゴは一切ないというスマートな演出です。

ノルウェーでは600トンクラスの中型フルリグドシップの<ゼルランデット><クリスチャンラディッヒ>によって16歳以上の青少年を対象にセイルトレーニングが行われています。このうち<ゼルランデット>は、現在、カナダに本部のある洋上スクール<クラスアフロート>にチャーターされています。

同スクールでは以前<コンコルディア>を使っていましたが、2010年2月、ブラジルのリオデジャネイロ沖合で突然の強風により沈没するという海難事故があり、その後継として<ゼルランデット>が傭船されているものです。

ポーランドは東欧の造船大国として数多くの帆船の建造実績があります。「’83大阪国際帆船まつり」、「Sail Osaka’97 香港/沖縄/鹿児島/大阪 国際帆船レース」の両方に参加した<ダルモジェジィ>はポーランド商船大学の大型練習帆船です。97年レースでは、<ダルモジェジィ>と同型船のロシア極東海洋水産学校の練習船<パラダ>も参加して<日本丸><海王丸>と帆走性能を競い合いました。また<ドゥルージェバ><ナジェジュダ><ケルソネス><ミール>も<ダルモジェジィ>と同型船で、ポーランドで建造されています。

そして中型帆船には<ポゴリア><イスクラ>、92年のコロンブス500年レースに向けて建造されたブリッグ型<フレデリックショパン>などがあります。<海星>もポーランドで建造された帆船です。

北米のセイルトレーニング

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北米でもセイルトレーニングは盛んで、港を持つ州の主要都市にはヨットのほかに歴史的な復元帆船や修復された帆船があり、それらを使ったセイルトレーニングも行われています。新しく建造された小型帆船のほか、ヨーロッパから新大陸へ移民を運んだガレオン船<メイフラワー>のレプリカから、アメリカ東海岸で活躍した小型快速クリッパーを復元した<プライド・オブ・バルチモア>、映画「マスター・アンド・コマンダー」でも使われた復元帆船<HMSローズ>、かつてのアメリカズカップに挑戦したJボートを修復した<アドベンチュラス>、サンフランシスコを母港とするスマートなトップスルスクーナー型<カリフォルニアン>など、数多くの中型から小型の帆船が全米各地にあり、その図録は100ページ以上の冊子のなっているほどです。

アメリカのセイルトレーニング協会は、全米各地にあるこうした団体の統合機関として活動を続けています。毎年帆船とセイルトレーニングに関する会議を開催するほか、英国のSTIと連携しながら北米での帆船レースを主催しています。

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協会の登録上の正式な名称はいまでもAmerican Sail Training Associationですが、英国と同様に一般市民に対してアピールしやすいように、組織の通称をTall Ships Americaとし、スローガンをAdventure and Education Under Sailとして商標登録しています。民間からの寄付によって運営されている団体として、基金集めのために工夫をこらしている様子がよくわかります。

アメリカでは美術館を含めた芸術などの文化活動も一般募金で成り立っています。活動資金を集めるためにファンドレイジングのプロやマーケッターがいるほどです。アメリカのセイルトレーニング団体の活動もこうした環境の中で行われていますから、自らの活動のアピールやサポーターを集める運動にも熱心に取り組んでいます。帆船レースや寄港地でのパレード、船内一般公開はこうした団体運営にとってもニーズに合致したイベントなのです。

カナダでは、トロント・ブリガンティン協会が<パスファインダー>、姉妹船<プレイフェアー>という全長22mの小型帆船を使って年間を通じて五大湖を舞台に活動しているほか、バンクーバーを拠点にするSALTS(Sail And Life Training Society)が<パシフィックスウィフト>と<パシフィックグレース>という2隻のトップスルスクーナーによって太平洋地区でセイルトレーニングを実施しています。

前述の<コンコルディア>や<ゼルランデット>をチャーターしたクラスアフロートでは、教職員も同乗して、長期間のセイルトレーニング航海を行いながら学校の単位も取得できるというユニークな活動、その名の通り「洋上学校」を展開しています。

オセアニアのセイルトレーニング

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大阪市帆船<あこがれ>のプログラムのモデルスタディを行ったのがニュージーランドのセイルトレーニング団体、スピリット・オブ・アドベンチャー・トラストです。

昨年の実績で10日間の航海を28回、5日間の航海を6回と、世界で最も正統的なセイルトレーニングを行っています。このほか団体向けのものや、半日での一般向け体験航海やスポンサー向けの半日体験航海を午前/午後で実施するなどバリエーションのあるプログラムを実施しています。

設立当初から現在も会長を務めるステファン・フィッシャー氏は地元の鉄鋼会社の経営者で、運営組織は政府の教育省をはじめ様々な公益団体の協賛を受けているほか、韓国の現代財閥がプリンシパルスポンサーとなっています。また海軍からはコックとオフィサーの派遣を受けているなど、2012年に設立から40周年を迎えた同団体は、世界のセイルトレーニング団体の中でも最も優れた、安定的な運営基盤を保っています。

トラスト設立の翌年73年からブリガンティン型<スピリット・オブ・アドベンチャー>によってセイルトレーニングを開始し、86年にはより大型の3本マストのトップスルスクーナー型<スピリット・オブ・ニュージーランド>が竣工し、長期間の航海プログラムが可能になりました。88年にはオーストラリア建国200年の帆船レースにも参加しています。

97年を最後に<スピリット・オブ・アドベンチャー>は売却され、現在は<スピリット・オブ・ニュージーランド>1隻で年間を通じたセイルトレーニングを実施しています。トラストのホームページにはアニュアルレポート(年次事業報告書)もアップされており、収入と支出の構成を見ると、収入の71%が乗船費用、26%が協賛金です。またトレイニーはニュージーランド国内だけでなく、南太平洋諸国やアジアからも参加しています。

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オーストラリアには、建国200年に英国民から寄贈されたブリガンティン型<ヤングエンデバー>があります。シドニーでの建国記念式典でオーストラリア政府に引き渡された後、オーストラリア海軍の協力によって運航されており、Young Endeavour Youth Schemeという団体名で、16歳から23歳の青年を対象に、主に2週間の航海を実施しており、乗船資格が「50m以上泳げること」「体重は120kg以下であること」などとされており、海軍による運営らしい正統的なセイルトレーニングプログラムとなっています。(もっとも、120kgを超える肥満体ではマストに登れないでしょうけど・・・)

<ヤングエンデバー>は、2枚のジブセールとステイスルはいまのクルーザーヨットにあるファーリング(巻取式)、ビレーピンとピンレールが一体型のステンレススチール、ロープもヨットに使われるタイプのもので、当時の最先端の技術で建造されていました。

英国から建国200年を祝うオーストラリアまでの航海では、一般募集の若者がトレイニーとして参加していましたが、大変な競争倍率でした。

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オーストラリアにはシドニー、メルボルン、アデレード、フリーマントルの主要都市それぞれに数多くのヨットや小型帆船がありセイルトレーニングも盛んに行われています。そうしたなかでも、西オーストラリアのフリーマントルを母港にする3本マストバーケンティン型<ルーウィン>はオーストラリア国内最大の帆船です。オーストラリアがアメリカズカップを奪取し、フリーマントルで防衛戦が開催される時に合わせて建造されました。 運営団体は、設立当時西オーストラリアセイルトレーニング協会と称していましたが、現在はルーウィン・オーシャン・アドベンチャー・ファウンデイションに変更され、これまで見てきた世界各国の動きと同様、一般の参加者によりアピールできるよう名前にしています。 航海プログラムも14歳以上から参加でき、一般青少年を対象にした1週間のYouth Explorer Voyage、障害者を対象にした5日間のUltimate Challenge、学校対象や成人も参加できる航海など様々なプログラムが用意されています。

現在も会長を務めるマルコム・ヘイ氏は、本業は外科医ですが、船医の経験もあり、キリマンジャロの登頂実績を持つ冒険家でもあります。地元企業の援助を得ながら7年間の募金活動を経て<ルーウィン>の建造を果たしました。西オーストラリアでセイルトレーニングを発足させたことについて、“Dream first. If you don’t have dream, nothing happens.”(先ず夢を持つこと!夢が無ければ何も起こらないよ)と語っていました。

セーリングの盛んなニュージーランドやオーストラリアですが、両国とも商船乗りや海軍の士官候補生のための大型帆船はありません。これほどセイルトレーニングが普及し、一般家庭でもヨットに親しんでいる国では、あえて必要ないとも言えるでしょう。

アジアのセイルトレーニング

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83年大阪帆船祭り、セイル大阪97に参加した香港アウトワードバウンドスクールの<ジフン/志風>がありましたが、香港が中国に返還されたときに売却されたため、アジアに一般の青少年を対象にしたセイルトレーニング帆船は無くなりました。

若い頃英国でセイルトレーニングを経験した中国人実業家が中国セイルトレーニング協会を発足させようとしていると聞きますが、まだ実現には至っていません。

マレーシアとインドネシア、そしてインドには海軍の練習帆船があります。マレーシアの<ツナスサムデラ>は前述のオーストラリアの<ヤングエンデバー>と同型の小型帆船で、一部のプログラムで一般青少年のセイルトレーニングも実施していました。また、英国のセイルトレーニング協会が売却した「プリンス・ウィリアム」はパキスタン海軍が取得しています。

日本のセイルトレーニング

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わが国では、明治時代に大型4本マストバーク型<大成丸>が商船学校の学生を乗せて世界一周の航海を成し遂げました。その航海記は「海のロマンス」と題して新聞に連載され、当時の若者たちを熱狂させました。海運業の隆盛とともに船員教育に帆船が広く取り入れられ、「大成丸」に続いて大型4本マストバーケンティン型<進徳丸>、4本マストバーク型<日本丸><海王丸>、さらに水産学校の<雲鷹丸>が誕生、5隻の大型練習船を抱え、当時のドイツと並ぶ帆船大国だったのです。

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また民間でもヨーロッパに先駆けたセイルトレーニングの原型がありました。現在のボーイスカウトの前身となる少年団日本連盟海洋部が31mのブリガンティン型<義勇和爾(ぎゆうわに)丸>で青少年を対象にした海洋訓練を行っていたのです。同船は明治42年に建造された北海道大学水産学部の練習船<忍路(おしょろ)丸>が払い下げられて名前を変えたもので、昭和9年(1934年)には東南アジア一帯からシンガポールへの遠洋航海を達成しています。

その記録集によると、当時にあってもトレーニングは軍隊調ではなく自由な雰囲気で、いまのセイルトレーニングにも近いものだったことが伝わってきす。昭和天皇が見学に乗船されたり、葉山沖で練習していたところ、御用邸で静養されていた皇后陛下からお菓子の差し入れがされるなど、以前の英国STAを彷彿とさせるような、世界に先駆けたセイルトレーニング活動を展開していたのです。しかも名誉総裁は後藤新平だったのです。

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終戦後<日本丸><海王丸>が船員教育に復帰し、1980年代に両船とも日本独自の設計により2代目が建造され、現在も海洋大学(旧商船大学)、商船高等専門学校、海洋技術短期大学校(旧海員学校)の実習に活躍しています。建造資金に民間募金も導入された<海王丸>には一般から研修生として体験乗船できます。

90年代から一般を対象とした本格的なセイルトレーニングが始まります。民間資金による<海星>が91年から「ジャパンフェスティバル」に参加しながら英国全土を一周、地中海を経て大西洋横断帆船レースに出場、太平洋を横断して、16ヶ月におよぶ「コロンブス500年・地球再発見の航海」を達成して93年に日本に到着、その後、日本国内で初めてのセイルトレーニングを開始しました。

大阪市の<あこがれ>は1994年から大阪湾を中心にしたセイルトレーニング事業を開始し、95年にはダブルハンドヨットレースのスタートに合わせて姉妹港メルボルンへの親善寄港、インドネシア独立記念レースにも参加した後、2000年には日本の帆船として初めての世界一周航海を成し遂げました。

97年大阪市主催によって開催された香港〜沖縄〜鹿児島〜大阪国際帆船レースSail Osaka ‘97には、世界の帆船と共に、両船そろって参加しています。

<海星>と<あこがれ>は日本全国の海を駆け巡り、国内のほとんどの港を訪れ、5万人以上の人々がセイルトレーニングを体験してきました。
※ 両船の航跡については「Links」を参照

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しかし<海星>は長年の資金難によって2004年を最後に日本でのオペレーションに終止符を打ち、運営母体の日本セイルトレーニング協会も同年のうちに解散しました。<海星>はいま、サンフランシスコの篤志家の手に渡っています。

そして<あこがれ>も、大阪市の事業廃止決定によって20年間に及んだセイルトレーニングを終えました。事務局の「セイル大阪」は2013年3月末で業務を終え、<あこがれ>も民間に売却されて、もう大阪南港でその姿を見ることはできません。

日本において奇跡的な必然性によって誕生した2つの帆船を失った日本のセイルトレーニングをこのまま終焉させてはなりません。世界のセイルトレーニングの活動に復帰し、新しいキーワードで、新しいツールで甦らせることが求められています。